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第2の人生設計に出たダニエル・リー、「僕はできる」

10年間従事したeスポーツを去ることに泣き、そして笑った

我々は知っている。一時は神技に近い手の動きでその名を知らしめたり、芸能人顔負けのルックスでファンを騒がせたイケメンプロゲーマーだとしても、大衆の目から遠ざかればまたたく間に忘れ去られてしまうのがこの世界、いや我々が生きる世の中の理であるということを。

daniel

ましてや引退して数百日が過ぎたプロゲームチームの監督―事実彼は12もあるプロゲームチーム、数十名のコーチングスタッフの一人であるにすぎなかった―が忘れ去られるのにはそれほど長い時間は必要でなかった。

もちろんこの話はeスポーツを楽しむほとんどのライトユーザーに該当することだ。万一この記事を読んでいるあなたがいわゆる「eスポーツマニア」なら、「青い目の戦士」ギヨム・パトリーからGOM TVの英語解説「スーパーダニエルマン」までいちいち説明せずとも、ある選手の華やかではない引退の場でダンスを踊って涙を流した一人の男を絶対に忘れてはいないだろう。

今回のインタビューの主人公は、1999年AMDで始まりeSTROに名を変えるまで何と10年に近い人生をeスポーツに従事したダニエル・リー、いやイジホ前監督の話だ。胸の痛い過去を踏み台に立ち上がろうとする、一人の男の正直な話でもある。

再会

「お久しぶりです、カン記者。相変わらず大荷物を持ち歩いてますね。元気にしてましたか?」
「私などはずっと同じですよ。この業界はいつも忙しいじゃないですか。お元気でいらっしゃいましたか?」

わざわざこの街の近くまで訪ねて来て、車の窓を開けて放った彼の最初のひとことが嬉しかった理由は、私が―イジホ前監督が少し前まで英語解説をしていた―GOM TV Classicがなくなったことを意識して心配していたのに比べて、とても元気な声だったからだ。

事実GOM TV Classicでの英語解説は、彼が持っていたeスポーツとの唯一のつながり、一本の紐であった。しかし一週間に一度、彼の「大義名分」に近かったその仕事は、当時からすでにひとつの家庭を担う責任ある家長には、現実的に「仕事らしい仕事」ではなかった。GOM TVで正社員として採用される可能性もあると言っていたが、それも次第に希薄となり今となっては消えてしまった希望だった。

「今日はカン記者とビールを一杯やりたくて来ました。最近は非常に気楽で幸せなんです。僕がどんな感じかっていうのも話したいし」

イジホ前監督と親しくなったきっかけがあった。監督を辞めてIEG所属として海外マーケティング業務をしていた当時、eスポーツ協会との業務協議のため釜山BEXCOでの国際イベントの通訳を受け持ったイジホ前監督と私は、同じホテルに泊まることになり公式日程を終えて釜山市内で自由時間をともに過ごしたことがある。バーで軽く映画と音楽に関する話を交わし始めたが、ホテルの部屋へ帰ってからも夜が明けるまで続いた会話のテーマは、結局「eスポーツ」を基盤とした人生の話だった。そのとき交わした会話をすべて覚えていると言ったら嘘になるが、当時eスポーツに対する人一倍の情熱と愛情に感動した記憶だけは確かだ。また一方では、どうやってそんなに長い時間「まじめモード」を維持できたのか、不思議でもあった。しかも男二人でだ。

そんなことがあってから長い時が過ぎ、イジホ前監督に再び会った場所は新亭洞(シンジョンドン)のGOM TV スタジオだった。IEGを辞めた状態で外国人のニックとともにGOM TV Classicの英語解説をしていた彼は、「一週間に一日だが、eスポーツという宝物のようなコンテンツを全世界に知らせる役割をしているということが嬉しい」という内容でインタビューをしたことがある。しかしインタビューを終えてから、ひとつの家庭の家長として感じる現実の疲れと、自分が長い間仕事をしてきた分野で周りの人間から追い出されたことに対する剥奪感を吐露したのも事実だった。

eスポーツとの容易ではない別れ、そして涙

結論から言うと彼は「ついに」または「とうとう」、eスポーツに対する未練を捨てるのに成功したのだという。そして今は「新しい仕事」を始め、その事実を皆に伝え―正確に言えば彼はeスポーツファンに挨拶したいと表現した―たがった。

最初はつらかったが今は開放された感じを受けるほど気持ちがいいという彼は、「人生には変化が必要であり、今がまさにその時であると確信している」といい、これ以上eスポーツの「フィールド」で駆け回ることはないだろうときっぱり話した。そしてこの話をeスポーツを通じて自分を知ったすべての人々に伝えたく、また激励を受けることを望んだ。

「僕が新しく見つけた仕事です。これ名刺です」

彼はすぐに胸がいっぱいであることを隠しきれないといった表情とともに、「SFC イジホ」と書かれた名刺を一枚差し出した。SFCは「Special Financial Consultant」の略だった。イジホ前監督は国内のある有名な生命保険会社でフィナンシャルコンサルタント、すなわち金融専門家として仕事をすることになったのだ。FCたちは主に、個人の事情に合った財テク方法と投資ポートフォリオの相談に乗る仕事を行う。各種保険設計と財務相談がメイン業務だと見ればいい。

「最近は人に会うのに忙しくて、暇さえあれば勉強してて、一日がどのように過ぎていくのかも分からないぐらいですよ。でもやっとちゃんと生きてるって感じですよ。目標がはっきりしたから自然と意欲も沸いて幸せです。カン記者もいつでも事務所に遊びに来てください。高齢化社会を控えてどれだけ早く老後に備えるか、リタイア後の設計がどれだけ重要なことか教えてあげるから。ははは」

まだ仕事を始めてあまり経っていないと言うが、声だけ聞いても本心からにじみ出る活気と幸福が感じられるほどだった。またこの仕事を始めてから地下鉄で通勤し、明け方5時に起きて1時間経済新聞を読み夜も2時間勉強するという彼は、忙しい生活がつらくもあるが遅く始めただけに他人の2倍以上努力しなければならないという言葉も外さなかった。

FCになるための資格を取得するために久しぶりに読書室で勉強をしていたというイジホ前監督は、これから金融に関連した資格をすべて取りたいという。最終目標は、業界で一番難しいという噂の「CFA」資格を取ること。「CFA」とは国際的に公認された資格で、1年に1度ずつ3次にわたる試験をパスしなければならないほどの、金融圏と大学で国内最高の待遇を受ける資格だ。全世界で通用するCFA資格を取得した場合、業界で億台の年俸が保障されるのはもちろん、大学で関連学科の教授として任用されることも多いとか。

「CFAは英語で受ける試験だから僕には有利な部分もあるけど、今は金融に関連した専門用語を勉強するとき韓国語と英語ですべてを理解する勉強をしなければならないから、他の人よりさらに頑張らなければならない状況なんです。でも面白いです。やれるという思いでいっぱいですよ。」

最後まで自分を泣かせたeスポーツ

イジホ前監督は今自分が新しい人生を始めるにあたり大きな助けとなった人がいるという。それはCJ Entusのチョギュナム監督。理由は、チョギュナム監督の予想外のあたたかいひとことだった。

「チョギュナム監督とはときどき電話で挨拶する仲だったんですが、つらければいつでも訪ねてきてくれとのことでした。本当につらいときその話を思い出して訪ねていったら、僕の事情を聞いてその場で学費を出してやるって言うんです。僕はジホさんができる人だって信じているから、勉強に必要なお金ならいくらでも貸してやれるっておっしゃるんです。その話を聞いて涙が出ました。僕が特別に何かしてあげたこともなかったのに、そのように言ってもらえてとても嬉しかったんです。そのときとても大きな力になりました。家に帰って家内にその話をしたら、家内も泣いていました。家に帰って家内といっしょにまた泣きましたよ」

チョギュナム監督は自分がプロゲームチームの監督としていたときは、むしろ一番冷たく話された人だったという。結果的に見ればそのときも一番助けになる助言をしてくれた人だったが、eスポーツ現業を去った状況でも自分をあたたかく迎えてくれて学費まで出してやるというチョギュナム監督の話は、ただでさえ涙もろいイジホ監督を泣かせずにはいられなかったという。

それだけでなく周囲のさまざまなありがたい人たちの話をしたイジホ前監督は、「これからはぶっちゃけて話したい」といっそう深い話をし始めた。

母、家族、そして周囲のありがたい人々は僕が成功しなければならない理由

「実は僕は養子なんです。そして自分の母が誰なのか、年はいくつなのか、どこに住んでいたのかも知りません。ただ僕がイジホと呼ばれていたのだけは知っています。それは僕がダニエル・リーからイジホに改名した理由でもあります」

イジホ前監督はeスポーツの仕事をしながら、「僕が有名になったら母が見つかるかもしれない」という考えもあったそうだ。そしてその考えは、再び始める第2の人生でも変わりはない。

「養子が持つ悲しみと傷は、誰にも分からないでしょう。これまで生きてきて一日たりとも母のことを考えなかった日はありません。僕がイジホという名前で成功しなければならない二つの理由があるなら、一つは母を見つけたいからであり、二つ目は養子の子供たちが成功した僕を見て、希望を見出してくれることを願っているからです」

養子であるということ。そして一日たりとも忘れたことのない母という存在に対する思い、それは当事者でなければ想像さえもつかないつらいことだ。しかも我々の社会が持つ養子に対する偏見まで加わった過去は、自分には耐えがたい重荷だったと彼は告白した。そしていまはその重荷を減らしたいのだという。

「僕が養子縁組されたという事実が突然広まったので、あちこちから指をさされるような気分になったこともあります。でも今は堂々としていたいです。そして必ず成功してみせます。だから僕の家族、そしてすべての人々の前で堂々と生きたいし、僕と同じ境遇にある人たちに希望を分けてあげたいです」

暇さえあれば娘の自慢に余念がないイジホ前監督は、私の知る限り一番家庭的な人でもある。ongamenetの『監督列伝』という番組にも出たことがあるが、彼の人生で一番大きな部分を占めているのはまさに彼の家族だった。特に4歳になった彼の娘・チェヒョンは、今も生きていくにあたって一番大きな原動力だという。そして彼の打ち明けた勇気ある告白は、チェヒョンにとって良い父親になりたいという気持ちも大きく影響したから可能になったことだった。

誰よりも一生懸命、そして堂々と

おそらく当分はイジホ前監督、いやイジホSFCは社会人一年生と受験生の姿勢で容易ではない人生を生きていかなければならないだろう。そして我々は出勤時間、江南(カンナム)のとある地下鉄の駅前でビラ配りをしている彼を見ることができるだろう。

「eスポーツ界で長い間仕事をしていたからか、読書室で勉強するときも僕のことが分かる人が多かったんです。もし江南(カンナム)の真ん中で僕を見かけたら、ひとことでも声をかけてくれたら嬉しいです。激励してくれるのでもいいし。僕も僕が持っているポジティブなエネルギーを分けてあげたいです」

誰よりも一生懸命生きている自分の姿をみんなに堂々と見せたいというイジホ前監督。新しい分野で第2の人生を設計している彼に希望が感じられる理由は、「血のにじみ出るような努力」と「ポジティブなマインド」という成功のキーワードを言葉ではなく行動で実践しているからではないだろうか。

暗い過去とつらい今日を笑顔で耐えたイジホSFCに明るい明日が遠くないことを期待してみる。

情報元・・・FOMOS

1 Comment

1 Comment

  1. sugeo

    2009年11月15日 at 2:43 AM

    まだe-sports業界に身を置いていたときの彼と、直接話し、e-sportsの話が出来たことを嬉しく思います。韓国内でいち早くグローバルな視点に切り替えた彼の功績は、一般的には大した事ないかもしれませんが、海を隔てたこちら側では偉大な業績として見ることが出来ると思います。また、その功績がいつまでも色あせないように自分の出来ることから伝えていこうと思います。
    GG GL daniel

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